【広告代理業】スポーツマーケティングの主役は、今後も広告代理店か?/スポーツ総合研究所 所長 広瀬一郎

2008年11月24日

当初は広告代理店がビジネスの主役

  スポーツマーケティングという事業分野は比較的新しいものであり、誰がいつ、どのようなかたちで開始したのかについては諸説がある。

 1970年代前半に、ウエスト・ナリーという英国の会社がサッカーのワールドカップの看板スポンサーの販売権を取得し、そのビジネスを「スポーツマーケティング」と称したのが最初だとされるが、今となっては確かめようもない。当時は、“スポーツの場で広告活動をすること”程度の意味でしかなかったのは容易に想像できる。したがって、当初は広告代理店がビジネスの主役となっていたが、単なる「スポーツスポンサーシップ」との差は、権利の源となる「メディア価値」の創出に関与するかどうかである。

 スポーツがすべてメディア価値を持つわけではないことは明らかだ。さらに、競技レベルとメディア価値には必ずしも相関関係がない点に注意を促しておきたい。例えば、サッカー日本代表の試合とUEFAチャンピオンズリーグの準々決勝「アーセナル対ACミラン」のゲームとでは、明らかに後者の競技レベルが上であるが、日本国内においては視聴率も放送権料も前者のほうがはるかに上回っていることは、容易に想像できるだろう。スポーツマーケティングの企画書/契約書に必須な項目は、試合内容だけでなく、「テレビ(TV)放送の有無」と「権利内容」である。したがって、プロデューサーには「TVメディアとの交渉力」と基本的な「法務の知識」が不可欠である。

TVの発達がもたらしたスポーツのメディア価値

 歴史を遡れば、TVメディアの発達により、スポーツは大きなメディア価値を持つようになり、その価値をもとに事業が成立する。価値が価格になり、1970年代にスポーツマーケティングが誕生した。「メディア価値」こそが、スポーツマーケティングで取引される対象の中核なのである。つまり、スポーツマーケティングとは、スポーツ産業の中の「観戦型サービス」(=Spectator Sports)、ひらたく言えば、「スポーツ興行」におけるマーケティングの手法・領域のことなのである。

 繰り返すが、スポーツに関連したマーケティングすべてがスポーツマーケティングなのではない。「スポーツを利用した企業活動」と「スポーツの普及拡大」とが複合し、メディアを通じて獲得した「メディア価値」を利用してさまざまな商品化を図ったことで、このビジネスがスポーツマーケティングとして確立していったのである。

 1960~70年代は、大量生産による生産力のアップ、企業活動のマーケティング志向の高まりと国際化、TVメディアの爆発的な普及などが背景になり、先進国において消費社会化が一気に進んだ時代であった。

 1980年代に入ると、“高いメディア価値”を持つスポーツを利用してのスポーツマーケティングが、確立期に入っていく。そうしたなか、1984年に開催されたロサンゼルス・オリンピックで、組織委員長を務めたピーター・ユベロス氏の採用した手法により、スポーツマーケティングのベースが確立された。

 その手法とは、徹底的にTVへの露出を利用することであった。五輪競技のTV露出によって形成されたメディア価値を権利として法定し、スポンサーにプロモートしたり、マーチャンダイジングに利用したりして、事業化したのである。

 スポーツマーケティングの領域で扱う商品化された権利を「公式権(Official Rights)」という。ユベロス氏の権利というものに対する炯眼は、「制限」するということに着目した点にある。外形的に明確な差別化を用意することは、スポーツマーケティングの主要な機能なのである。

 明確な差別化のために、五輪のメディア価値を利用する権利を得た商品やコンテンツ類はすべて「公式(Official)」と呼ばれ、排他独占的(Exclusive)なものとして守られ、非公式と徹底的に差別化されるのである。「公式権」の基本は「排他独占権(Exclusivity)」だ(「アンブッシュ・マーケティング」は徹底的に排除される必要がある)。権利を持たざるものに対する制限が強いほど、その制限を免除される権利の価値が高くなることは自明である。

 ロス五輪以降は、①公式スポンサー権、②公式TV放送権、③公式商品化権が、スポーツマーケティングのもっとも基本的な構成となった。

 なかでも、「公式TV放送権」は、1カ国でひとつのTV局に対してだけ独占放送権を与えるという基本型が確立した。ロス五輪ではABCが全米の独占放送権を2億5500万ドルで購入し、世界をアッと言わせた。これだけで大会総費用の約半分をカバーできる額であった。ユベロス氏は、「オリンピックに必要なものは大きな競技場ではなく、問題はその競技場に何台のTVカメラを入れられるかだ」と言い切ったのである。

低下の一途をたどる広告代理店の役割

 スポーツマーケティングというビジネスは、TVメディアへの露出とスポンサーの両方を確保することが主たる業務であったため、当初は広告代理店が大きな役割を果たしていた。その後、そこにTVメディア自身が主たるプレーヤーとして参入してきた。フジテレビがバレーボールWカップを自局の看板ソフトに育てあげたりしたことが、その典型である。テレビ朝日の全英オープンゴルフや、TBSテレビのマスターズゴルフなども看板番組だが、その放送権売買に代理店はもはや介在していない。

 さらにビジネスが進展し、安定してくると、広告代理店に依存する領域が少なくなるのは、商社の場合と同様だ。IOCやFIFAは代理店機能を持つ自前の会社を設立し、五輪やWカップのマーケティングをじかに行うようになっていった(1986年のサッカーWカップ・メキシコ大会では、電通扱いのクライアントは4社あったが、2010年の南アフリカ大会ではソニー1社である)。

 代理店が扱えるスポーツの権利は、売りにくいものしかなくなっていっているのが、今日の実態である。リスクがなければ代理店を介在させる合理的な意味がない以上、この傾向は今後も基本的には変わらないであろう。広告代理店の存在価値を維持するためには、これまでにない新しい企画を提案していくしかない。新しい企画には、常にリスクが伴うからである。

 現在、広告代理店やTV局はもとより、プロ野球やJリーグなどの個々のチームもこの分野に進出している。また、スポーツマーケティングを社業として標榜している会社もあるが、老舗のIMGなど数社以外は小規模で経営的にも安定しているところは少ない。スタッフを公募採用しているところもほとんどないので、インターネットなどで会社について調べ、直接訪問して採用情報をとるしかないだろう。