キーマンインタビュー

2009年5月22日

スポーツが日本社会を活性化する鍵となる。

元国民スポーツ担当大臣 麻生太郎

●プロフィール●
1940年生まれ。63年、学習院大学卒業。66年、麻生産業入社、73年、麻生セメント代表取締役社長に就任。78年、日本青年会議所会頭。79年衆議院議員に当選、以降当選9回。経済企画庁長官、経済財政担当大臣、総務大臣、外務大臣、自由民主党幹事長を歴任。2008年、第92代内閣総理大臣。

写真提供:共同通信社

(1)「人間力」を鍛えるのがスポーツの大きな役割

 20世紀は、戦争の世紀であり、経済の世紀であり、映像の世紀でした。そして、また「スポーツの世紀」でもありました。国民国家の世界化と並行して、スポーツも世界化していきました。わが国もその例にもれず、明治維新による国民国家創設の直後にスポーツの導入が決まり、今日のスポーツの隆盛につながっています。

 もっとも、スポーツがこれだけ身近になっているのに、意外に知らないことが多いのも事実です。例えば、みなさんは「スポーツ」の日本語訳をご存じですか。たいていの方は「体育」とか「運動」とお答えになるでしょう。しかしこれは、「日本語にはない」というのが正解です。スポーツは西欧で生まれ、西欧の近代化の中で完成された、西欧オリジナルなものですから、日本語に対応するものがなくて当然です。スポーツはスポーツであり、それ以外の何ものでもありません。

 スポーツを導入した初代文部大臣の森有礼は、国民教育の要諦を「知育」「徳育」「体育」の3つだと考え、「体育」の領域を「スポーツ」に担わせることにし、学校教育に導入したのです。当時の政府としては、「兵士の早急な育成」も重要な目的のひとつでした。

 この時点における彼の判断は正しかったと思います。ただ、それはあくまで“当時の判断”としてであり、今日とは社会情勢がまったく違いますし、世界における日本の立場も違います。なにより、日本という国家あるいは社会の成熟度がまったく違います。したがって、日本はどうあるべきか、という考え方、あるいは戦略も違ってなければおかしいでしょう。当然、この問題は国民教育のあり方にも直接反映されるべきものです。ですから、現在の教育のあり方を根本的に見直そうという考え方が出てくるのは自然な流れです。 そこで、いま一度「体育」について考えてみると、そもそも「知育」や「徳育」と分けたところが問題のように思えます。「知育」や「徳育」を除いたらスポーツではなくなりますから。「知力」や「精神力」といった総合的な人間力を欠いて、世界で勝てるわけがありません。「人間力」を鍛えるのは、スポーツの重要な役割です。

元国民スポーツ担当大臣 麻生太郎 写真提供:共同通信社 麻生氏はモントリオールオリンピックに射撃(クレー・スキート競技)日本代表として出場した経験を持つ。

 だからこそ欧米では、スポーツマンは社会や企業が必要とする人材だと、一般的に認識されているのです。ところが日本においては、残念ながらそういう認識が浸透していないのが現状ではないでしょうか。はたして、「体育会系」の学生に幹部候補生という認識があるのかどうか……。それは教育の場に「体育」しかなく、「スポーツ」が不在だからではないでしょうか。文部科学省もそこに気づいたから、「体育局」を「スポーツ・青少年局」に改めたのだと思います。社会を健全化するためには、犯罪に対する罰則強化など制度によってできることは限られていますし、教育による本質的な対処が必要だと考えています。特に、スポーツの教育的価値をもう一度見直すことは、今後の日本社会に対して健全な人材を提供することにつながるでしょう。