スポビズ企業の舞台裏や、そこで活躍するプロフェショナルをレポート スポビズ企業最前線

第1回

株式会社ブリヂストン

世界最高峰の舞台で戦い、次世代のタイヤづくりに挑む

(2)念願のF1グランプリ参戦

突然やってきたチャンス

 F1グランプリ参戦は、浜島さんにとってモータースポーツに関わって以来の念願だった。

 「私が初めてモータースポーツの担当になったのが、1981年のことでした。すぐにヨーロッパ駐在になりF2選手権を担当。それまで自動車レースのことは全然知らなかったのに、アッという間に魅力にとりつかれて、83年に帰国した時には速攻で上司に『F1に参戦しましょう』とアピールしてました(笑)」。

 当時の浜島さんの懸命なアピールは、すぐに却下。その後、何度も見積書や計画書を出しては却下されるという経験を繰り返した。が、転機は95年に訪れる。取締役会に呼ばれ、F1参戦プランの説明求められたのだ。最高のチャンスが突然、向こうからやってきた。この機会を逃すまいと懸命に訴える浜島さんを後押ししたのが、当時の海崎洋一郎社長だった。この年、ブリヂストンは先だって買収した「ファイアストン」のブランドで、アメリカのインディカーレースに参戦を果たしていた。かつてファイアストンブランドが伸び悩む時代に、アメリカ法人の社長としてインディ500マイルを視察していた海崎氏は、40万もの人間が集まり、観客を見に来る観客までいるこのお祭りに、「コレだっ!!」と手応えを感じていたという。事実、参戦を果たして好成績を収めた後には、販売店の意気込みも消費者の反応も一変した。その成功劇を今度はF1を通じて、ヨーロッパで再現しようと考えたのだ。

 「他の役員の方々に海崎社長が頭を下げて、お願いしてくれたおかげで遂にF1参戦が実現しました。技術担当の役員からは、『浜島、お前がヨーロッパへ行くしかないな』と言われ、95年に再び、ヨーロッパへ渡りました」。

ドキドキ、バタバタの初参戦

 もちろんBSがタイヤを供給するカテゴリーはF1だけではない。各カテゴリーのフォーミュラーカー、レーシングカート、さらにはラリーやジムカーナに至るまで、2輪ではやはり世界最高峰のMOTO GPから国内の各カテゴリー、モトクロス等に至るまで、世界中のサーキットでBSのタイヤは幅広く用いられている。モータースポーツファンの人ならばよく知っているだろう。しかしF1への注目度は、やはり他のカテゴリーとは桁違い。モータースポーツ、あるいはスポーツビジネスという視点だけではない。世界中に通じる話題として、一般のニュースで取り上げられるのがF1なのだ。浜島さんも、参入初年度にそんな驚きに遭遇したそうだ。

 渡欧後は拠点を定め、事務所を開設し、スタッフを集め、テストの準備を行い、サーキットを回るトレーラーを調達し…と、やることは満載。98年の参戦を目指して、ようやくテストを始められたのは96年の初夏だった。

 「テストしてみたら、案外すぐに結果が出たんですね。すると社長が『2年間もテストにお金をかけるなら、来年(97年)から参戦しろ』と(苦笑)。こっちは98年スタートでも準備が間に合うかどうかとドキドキだったのに、もう大慌てですよ(笑)」。

 幸い、タイヤの供給先は3チーム確保できたが、開幕戦のオーストラリアにスタッフ、タイヤ、工具がすべて無事に集まるかどうか。バタバタの状態で始まったBSのF1挑戦だった。開幕当初は入賞こそすれども、思うような成績が残せずにいたが、第11戦のハンガリーGP。ヤマハエンジンを積んだアロウズのデーモン・ヒルが、ライバルであるグッドイヤーを履くフェラーリ、M・シューマッハをパスして、最終週まで首位を快走する。浜島さんの中に「やれる」と手応えが沸いた瞬間だった。

 しかし翌年一杯でグッドイヤーがF1から撤退。BSのワンメイク時代が訪れる。勝負に対する意識が乏しくなる中で、再び浜島さんの開発者魂に火が着く知らせが届く。「ミシュランがF1に戻ってくる!!」

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